愛国心

愛国心という言葉が、教育基本法の改正の現在の焦点になっているというニュースを聞いた。私の子供の頃にも、愛国心というのが論争の中心になった。ああいう形で敗戦を迎えた国にとっては、大きい問題であり続けるのかも知れない。




アメリカ人は、実に愛国心が強い。自国に対する愛情の激しさ、誇りの強さは圧倒されるものがある。同時に、それはアメリカの大国主義を支えるものでもあり、戦争を支えるものでもあることを考えると、あれば良いとも、無くても良いとも単純には言えない気持ちになる。

ただ、一つだけ言えるのは、「国を愛せよ」と提唱することは全く無駄であるということだ。そういうアプローチが何も生み出さないのは、過去の経験からいいかげんに学ぶべきである。

人で考えてみれば簡単なことだけど、愛するようにと言われて愛せるものではない。その対象が愛するものを持っているから愛するのである。愛すべきものを持っていれば、誰に言われなくても、時にはどんなに回りが止めても、愛せずにはいられなくなる。国だって同じことだと思う。

愛したくなるものが見つからないから、愛せない。国を愛させる為には、こんなに素晴しい国なのだと胸を張って言えるものを提示する努力が必要で、愛せよと百万回言っても無駄なことだ。

こう書いているが、日本に愛すべきものがないと言いたいのではない。逆である。それが見失われていることの方を考えるべきだと思う。勿論、日本には問題も沢山ある。でも、それにばかり目を奪われているのもどんなものだろうか。

少し例を挙げるなら、「わび、さび」の文化である。目に付きやすいきらびやかで華やかなものを愛でるのは簡単なことである。しかし、わび、さびのような地味でも深いものを感じて、愛でることが出来る為には、すごく繊細な感性と成熟した知性を必要とする。ひょっとすると、世界中でそれが出来る文化を持ったのは、日本だけかも知れない。そう思うと凄い国ではないだろうか。

万物に神が存在する。木にも石にも水にも。そういう感覚は世界で日本だけではないと思うが、一神教の文化に比べて、優しく平和な感覚に思える。全てに神を認め、全てを愛でる感覚は、世界平和への一番近道の思想でもあるように思う。そういう感覚を日本人自身が失い、平気で自然破壊をするようになっているのは残念なことだ。

素晴しい日本人も過去に沢山いる。そういう有名、無名または忘れられた人に光を当てることも大事なことだと思う。

そういう日本が大事にしてきたもの、見失ってきたもの、そういうものへの自覚を掘り起こしていけば、自然に愛国心などは生まれてくるようにと思う。そういうものに立脚しない愛国心の呼びかけは、きな臭いのみならず、不毛だと思う。
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by bs2005 | 2006-01-05 05:23 | 異論・曲論  

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