小さな政府

今、小泉内閣が目指しているものは、一言で言えば、小さな政府作りだと思う。膨大な国家予算、増え続ける赤字を解消して行くには、肥大化しすぎた政府を小さくして行かざるを得ない。そして、改革に賛成を唱えたということは、小さな政府という方向にゴー・サインを出したということだと思う。

その事が何を意味するのか、具体的に分かっていない人が、意外と多いのではないかと、最近感じる。小さな政府ということは、行政を余り頼らないということだ。必要最小限に頼る、それ以上は、自分達で解決する方向を探るということだ。自己責任を自覚するということだ。それなのに、相変わらず、行政に先ず注文する、頼るという行政任せの態度が、支配的に見える。



色々な場面で、それが見られるのだが、一つの例で述べると、最近、子供の誘拐が多い。痛ましいことである。それに対して、父母が集まって、学校やら行政に、色々注文やら非難やらをしている。ある程度、必要最小限の要求は当然するべきである。しかし、まず、自分達でどう解決して行くのか、自分の子供は自分で守るという自己責任はどうなるのかという部分の意識が、やや希薄に見える。

アメリカでも、日本と比べ物にならない位、誘拐は多い。だから、学校まで、あるいは、スクールバスの停留所まで、必ず誰かが迎えに行く。日本よりはるかに働く母親が多いけど、皆、仕事を都合して迎えに行く。親同士、助けあって、迎えに行く。交通手段が少ないということもあるけれど、近くでも、幼い子が一人で通学するようなことは先ず見かけない。

迎えに行かなくて何かが起きて、学校や行政を責めるということは、普通考えられない。学校の活動が終った後は、自己責任だと思われている。勿論、そういう社会だから、社会も親が子供を迎えに行けるように、仕事の都合が付け易くなっている。大変ではあるけれど、何とかなるようになっている。その点での日本の社会の変革は必要だし、行政のするべきことは大きい。

しかし、子供を迎えに行かなくてもよいように、行政に何とかしろというのは、おかしいのではないか。何とかしなければならないと感じる程、危険があるのなら、親達が協力し合って、最悪の場合は、共同で人を雇ってでも、子供を一人にさせないようにするべきである。子供を守る第一の責任は、その親にある。

先日の 「子供を守る」の記事でも書いたけれど、以前の日本は、はるかに安全だった。でも、もうそういう時代は終りつつあるのではないか。自分の子供を守る為には、何が必要か、自分が何を出来るか、すべきかを真剣に考える時期が来ているのではないか。何かが起きてからでは、取り返しがつかない。他力本願では済まない。安全がただで得られる時代は終っている。

危険な通学路に教師に立って欲しいとか、行政にパトロール体制の強化を求めるとか、の要求の前に、自分達で協力しあって解決するという姿勢が希薄にみえる。行政にまずお願いするという姿勢は、どういうものか。そこまで教師に要求するのは、負担が大きすぎるし、全員の子供が安全になるように行政でパトロールをするには、ものすごい人手と経費が掛る。それに、一人に一人が付くような体制でない限り、安全の保証は大してない。そういう事まで行政に要求することは、小さな政府の考え方に逆行する。

日本のテレビで、毎日、親が迎えに行くということを続けるのは困難だと言っている親が居た。アメリカの親は、皆、それをふーふー言いながらやっている。親同士、助けあいながら、10年近く、そうやっている。子供を迎えに行かなくても良くなると、アメリカの親達はみな、ほっとする。ああ、楽になったという。そこまで、辛くても必死で頑張る。親が先ず子供を守る、その為には、学校の親同士、地域の親同士、分担・連携する。それが先ず第一にある。

大変だとか困難だとか言う前に、まず自分達で協力して出来ることを探る。自分で責任を持つ。その上で、自分達の手に余る部分を行政に協力を依頼する。小さな政府を持つということは、国民の側にも、態度の大きい転換、改革を迫られているのだという自覚が、足りないように見えて仕方ない。
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by bs2005 | 2005-12-09 02:42 | 異論・曲論  

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