逆三角形社会の切り札

逆三角形の社会、すなわち、老人2〜3人を一人の若者が支えていくような社会、日本は必ずそうなる。そういうすさまじい老人社会が、遠からずやってくる。そういう社会をどう切り抜いて行けるのか、何が今必要なのか。

とりあえずは、介護産業が増え、老人を考慮にした設備の充実も図られているようだ。でも、老人社会というのは、比喩的に言って、エレベーターやエスカレーターで老人が守られている社会かと言えば、そうではない。



老齢化社会というのは、エレベーターやエスカレーターに乗ろうとして、老人が長蛇の列を作る社会だ。長蛇の列の中で、立って順番を待てる体力を要求される社会だ。車椅子も自分で運転しなければならない社会だ。老人同士が、列の順番を争って喧嘩をしかねない社会だ。設備の充実をどのように試みようと、限界がある。そういうものが切り札になりえない社会だ。

そういう社会になった時に、切り札になるのは、結局、個々人の持つ社会性、社会的能力なのだと思う。相手の身になれる想像力を持った人間。老人の側も、若者の側も、それが不可欠になる。

生産性で人間を評価し、切り捨てていく、そういう発想を超えることも急務になる。ニートの全てを肯定するつもりもないし、弁護するつもりもないけど、誤解を恐れずに言うならば、生産性から切り離されて存在してしまっている彼等の中には、そうであるからこそ、この逆三角形の社会を切り開く、何かを生み出すものが出てくるかもしれないと思うのは、甘い期待にしか過ぎないだろうか。

ともあれ、発想の大胆な転換が必要であることだけは確かに思える。老人と若者が平和に共存し、どちらも、生かされていく道を見い出す為には。何が大事で、何がそうでないか、それを見据えて、それを社会の中心に置いて行くことなしには、乗り越えられないように思う。設備や社会保障は、共存の必要条件であっても、切り札にはならないだろう。
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by bs2005 | 2005-10-26 11:22 | 異論・曲論  

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