人は、思いたいようにしか、思わない

小泉さんが、新人の派閥入りを禁止したという。良いことだと思う。もう派閥などという、けちなものを基準に、ものを考えるべき時代ではない。それぞれの国は、地球をいかに守るか、という地球規模で考えることを、求められている時代だ。

派閥だの、選挙区だの、党だのと、言っている場合ではない。地球規模は無理でも、せめて、日本全体を考えて行かなければいけない。



小泉さんは、首相になった途端に、森派を抜けた。閣僚人事にも、一切、派閥の意見を入れないようにしてやって来た。それでも、皆が派閥に入っている以上、出来上がったものを、派閥で色分けする事は出来る。

森さんを怒らせることを、何度もやって来ているけど、結果的に、今回、森派は最大派閥になった。しかし、それを小泉さんが望んでいたとも、意図して来たとも思えない。

今回、派閥入りを禁止したというので、森派は怒っているという。黙っていれば、そのまま最大派閥に、多くが流れただろう。森派第一に考えていたら、出てこなかった発想だと思う。それに腹を立てることで、森派の小ささを見せてしまっている。

個々の候補者に選挙協力した、他の派閥も怒っているという。その事で、選挙に関わった、自分の派閥の目的のせこさを曝してしまっている。

彼らは、新人を小泉さんの思い通りに動かす、小泉チルドレンにする気だと、批判している。「刺客」という言葉に、無節操に乗ったマスコミは、また、この言葉を流布して、その小賢しさを曝すだろう。

つくづく、人は思いたいようにしか、思わないものだなぁと思う。今まで、彼がやって来た事から見て、そういうケチなことを思っているとは、私には思えない。でも、私も、私の思いたいようにしか、思っていないのかもしれない。それ自体を否定する気も、反論する気もない。

しかし、せめて、自分は思いたいようにしか、思っていないのではないかと、わが身を振り返る態度は、必要なのではないか。虚心で、相手の言葉を、まず、そのまま受け止める。そういう態度が必要なのではないだろうか。

自分の狭い経験からしても、自分が思ってもいないような、受け止め方をされた事は多々ある。言葉が足りなかったり、うまく言い切れていなかった時は、あきらめも付くけど、そうとしか受け取りようがないような時でも、真意はと勘繰る人がいる。

そういう受け止め方をされることによって、ああ、この人は、私が、そういう人間と思っているのだなあとか、そう思いたいのだなぁと、悲しいような、情けない気持ちにさせられる事がある。

そのまま受け止めるのは、愚かな事で、まず疑うべきだと思う人も、少なくない。でも、先ず相手の言葉をそのまま、ストレートに受け止める。騙されても良いから、真意として信じる。そういう姿勢の方が失うものは少ないように思う。

「騙されたと思って」という言葉がある。騙されることは、そんなに悪いことでも、愚かなことでもない。一度、騙されてみれば、相手の本当の姿も分かる。騙されてからでも、いくらでも軌道修正は出来る。

まあ、お金が絡んだら、そうも行かないだろうけど、その人への信頼を失う以外に、何も失わないような時に、騙されるものかと頑な人をみる度に、騙されないという事が、そんなにエライの?カシコイの?と聞きたくなる。

人は、思いたいようにしか思わないし、自分の器でしか計れない。受け止める内容によって、その人自身を曝してしまう。人が皆、小さく汚く見える人は、その人自身の小ささ、醜さを見せてしまっているのだ。

心を白紙にして、まず受け止める、その事によってしか、自分の器も、大きくしていけない気がする。騙されることによって失うことよりも、信じないことによって失うもの方が大きい、と私は思う。そう思いたいだけなのだろうけど。
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by bs2005 | 2005-09-13 02:55 | 異論・曲論  

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