「ことな」と「おども」

ホリエモンを「不器用な目立ちたがり屋」と評価する人は、そう珍しくないかもしれない。だけど、それが、10代前半の子供たちの言葉だと知って、思わず、「ことな」という言葉が浮かんだ。私の世代で、子供の頃、そんな表現を使えたと思えない。




これは日経の7月14日の記事にあった。その記事には、近ごろの子供は「人前で目立つより、波風立てずに周囲と仲良く過ごすこと」に神経を使っていて、「話し上手だったり、横の人間関係作りが得意な子が、尊敬を集め」「気配り型が人気者」なのだと、あった。

それを裏付けるように、10代の男子に、好感を持てる同性のタイプを尋ねた調査では、「他人に配慮が出来る」が圧倒的な一位である。以下、「社交的」(3位)「誰とでも仲良くできる」(5位)「聞き上手」(7位)。

嫌いな同性のタイプでは、第一位に来るのが、「場の空気が読めない」、そして「女の子の前と男の前で態度が違う」(6位)などは、私達の世代(と言っても、比較が昔過ぎるかもしれないけど)には、まるで出てこなかったものに思える。

この老成は何だろう?女の子の前と男の前で態度が違うというのは、女子が、同性を嫌う理由の上位には、昔でもあったと思う。でも、男子が態度が違うというのは、絶句してしまう。

大人のアンケートなら、納得もできるけど、子供がこんな事、考えているのは、余りに小さくないだろうか?子供の頃から、器用な生き方など求めて、どうするのだろう?場の空気なんて、大人になってから読めばよい。子供の頃は、自分のしたい事、夢、そんなものに夢中になって、回りも後先も見えなくなっていた方が良い。

気配り、気配りというけど、本当の気配りというのは、相手に気を使わせないことだと思う。こちらが気を使っている所を見せたら、相手は気を使う。これ見よがしに気を使うなら、使わない方がずっと良い。

気配りというのも、そういう意味では、そんなに簡単な事ではない。気を使いながら、な〜んにも気を使っていないように見せるのは、高等わざを必要とする。子供が簡単に出来ることではない。

そんな事にエネルギーを使っても、何になろうか。大人になってから、嫌でもやらなければならなくなる。子供は先ず、自分自身になる事、自分を実現することに、全ての神経を使うべきであるし、そういう環境を回りの大人は、作って上げるべきだ。

そういうのをきちんとやって来ないから、あんなわざとらしい結婚式の演出をして、何とも思わないのかもしれない。あんなことを、親への気配りと思ってしまうのかも知れない。本当の自分も掴まずに、本当の思いやりも掴まずに、ただ、形だけで、気配りを考えるから、そういうことになってしまう。

不器用、大いに結構じゃないか。子供がそんなに器用でどうするのだろう?自分らしく生きよう、とすれば、ある程度の不器用さは避けられない。

こんな事を思うのは、多少、嫌われ者でも、その人がそうしか生きられないなら、そういう不器用な人間て嫌いじゃないと思ってしまう私だからだろうか。自分自身が不器用で、大人の外見を持っても、中には未熟なものを沢山抱えている、「おども」だからなのだろうか。何だか、今の子供って可哀相と思ってしまう。
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by bs2005 | 2005-09-09 11:52 | 異論・曲論  

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