敗戦記念日に寄せて

小さい頃の「終戦記念日」の報道は生々しかった。戦争って怖い、嫌だと幼心に痛感したものだ。それが段々、日本が平和になり、豊かになり、となってくると風化というのだろうか。「終戦記念日」の報道も子供の頃程の切実さもない。見るこちらも少々食傷気味という感じになって来ていた。

それが、ここ数年はテロやらイラク戦争やらのせいだろうか、また、生々しいものとして感じられるようになった。広島、長崎の訴えにもかかわらず、広がって行くばかりの核兵器。 「日本があっさり降伏したように、核兵器を使えば、イラクも解決するのではないか、民主主義の実現の為には仕方ないのでは」などという討論を、こちらのラジオなどで聞くと暗澹たる思いに駆られる。

父母が戦争で青春を費やしていた事は、勿論、子供の頃から分かっていたけど、最近しみじみと、そういう辛い青春と必死の戦後を送って、自分達を育ててくれたのだなぁ、辛い日々が長かった分、もっと楽しい後半の人生を送らせて上げれば良かったのにとか、あの世代と比べると、自分達の世代はこんなに平和に楽しくやって来ているのに彼等はとか、その大変さへの理解が深まると同時に、父母への思いも、もっと深いものになってきた。

敗戦記念日というのは、昔の私にとっては愚かな戦争を始めた人々への怒りを新たにする日だったが、最近の私にとっては、自分の親を通じて、あの戦争に無理やり引き込まれ、命を散らした世代、助かってその後の大変な復興を支えてきた世代への、感謝の日という個人的な感情を含めたものに変わって来た。あの世代が味わった苦労は、どの国のどの世代にも、繰り返してはならないものだと思う。

原爆禁止の祈り空しい世界の現実だけど、原爆があれ以来、60年間も全く使用されていない、危機一髪のことはあれ、ともかく使われていないという事は、原爆の悲惨さを訴えてきたあの世代を中心とした努力が、満更無駄に終っていないのだとも思う。そういうことを含めて、改めてあの世代への感謝をささやかながら、ここで表わしたいと思う。

注:終戦記念日というと、あの世代の味わった苦しみ、無念さが薄められるような気がして、敗戦記念日と言いたくなる私です。
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by bs2005 | 2005-08-15 01:28 | TON同盟  

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