郵政民営化法案否決を考える

日本ではどうしてあんなに手続き論にこだわるのだろう?マスコミは、そんなものをまともに相手にして澄ましていられるのだろう。勿論、手続きはきちんと守られた方が良いに決まっている。しかし、手続きよりももっと大事な事が問題になっている時に、そちらの論をきちんと展開しないで、手続きの問題ばかり前面に出してくるのも、それに取り合っているのも、情けない限りだ。

今回、郵政民営化法案が否決された。私はその時の生中継をテレビジャパンで見た。賛成、反対両方の答弁に耳を傾けた。不勉強で詳しい事は分からない。だが、現在の日本に抜本的改革が必要だという事はよく分かる。待ったなしの状況と言っても良い。そして痛みの伴わない改革などない。放っておいてはもっと大きい痛みを永遠に味わう事になるかもしれない。

日本の現状をどう切り抜けるか。後世につけを回さないで、今、何を為すべきか、問題の核心はここにある筈だ。不勉強で、法案の詳しい事は分からない。不備な点もあるのかも知れない。それにしても、反対派の人達の論点があまりに、感情的、非論理的である。聞いていると、論の中心は「納得できない」というものばかり。



どこがどう納得出来ないのか具体的な説明が全然されない。過疎地の郵便局がなくなってしまうというのと、経営が順調である郵政をなぜ民営化するのかというのが、取り上げられたものだが、国会の賛成答弁ではそれにも触れて、過疎化に対する手を打つ法案である事が説明されている。

また、国債の民間活用、ひいては日本経済の活性化の為であり、小さい政府にして行く事が膨大な赤字国債の道からの脱却だと説明されている。今の経営が悪いから民営化とは言っていない。逆に順調である今の内にと言っている。当然審議会でも為されたであろうその説明の、どこがどう納得できないのか、どこにどう具体的な問題があるのか、それについては一切触れられない。

審議が充分じゃなかったとか、納得出来る説明が得られなかったとか言うばかり。そもそも分かる気があるのか、納得する気のない人間を納得させられないのは当り前の事だ。いくら時間を掛けても相手にその気がなければ、どうしようもない。

具体的、本質的中味の展開なしに「納得出来ない」ばかりを連発するのは子供じみているのみならず、卑怯だ。反対答弁に比べて、賛成答弁の方がはるかに具体的であり、どう日本の現状を打破していくかという論点をきちんと挙げていた。中立公平にみてそう思える。

納得できないとか手続きが云々という論点を、素人が前面に出して終始するのならともかく、国政を預かる議員が反対答弁の全部をそれに尽くしたり、「衆院で通過したのに、参院で否決したからと言って衆院を解散させるのは云々」などという手続きレベルの問題を、党首が言うのは情けないの一言だ。そんな党に存続意義があるだろうか。野党なら野党らしく、現政権に本質論で拮抗出来る中味のある党でなければ意味がない。

法案が廃案になってしまったのだし、それ抜きに改革が進まない最も大事な事と、現執行部が考えている限り、それが国民の意に沿ったものであるかどうか国民に問おうとするのは、当然のことだ。納得出来ないなどという子供のような言い分を押し通して解散に追い込んだ自分達の責任に頬被りしている姿勢は、情けない。

また、そういうレベルに終始付き合って、今、何が本質的に問われているのか、今、何を国全体で考えて行かなければならないのかを一向に提示しようともしないマスコミの在り方も情けない限りだ。まるで高見の見物に収まっている。言論機関、考える葦として先頭を切るべき存在になっていない。

ペンは剣より強し、などと言うけど、剣の方がよっぽどマスコミのペンより強い。こういうペンの弱さがテロを生む原因の一つでもあると思う。個人のブログの方が余程強いペンとしての役を果たしている。

景気がどうの、他にも問題が山積み云々というけど、この問題を抜きにして前に進めないのだから、当座の事は耐えるより他はない。一時的に景気が悪くなろうと、永久に悪くなるよりましだ。

痛みのない改革はない。全て丸く収まったり、四方八方都合よく行く筈もない。ここに痛みが出るというのは反論の一部には成りえても、全部であって良い筈がない。肝心な改革をどうするのかという具体論、本質論がなくては意味がない。

そういう反対論を国民の前に提示出来ずに、解散になったからと言って相手ばかりを内容のないレベルで批判する政治家には、失望を禁じ得ない。親が子供にしつけをしようとして、子供が「納得できないから」で通るわけがない。納得したくない子供のわがままな言い分だ。

現執行部を強引、強引と言うけど、納得出来ないなどという子供じみた論を強引に展開して来た自分達の強引さも考えるべきである。強引に動く人間ばかりが強引なのではない。非論理にすがりついて動かないのも強引であることに変わりない。

小泉さんの、後世につけを回すまいという必死の気持ちは伝わってくる。多少の強引さは確かにあると思うが、その気持ちからのものだと理解出来る。反対派も、後世につけを回さないようにするのは、今、何をどうすれば良いのかを核心に据えるべきだ。

そこを共通の場としての具体的・本質的論が如何に交わされるか、国民も手続き論のレベルにはまらないで、しっかりと見据えて断を下して欲しいものだ。今度の選挙は小泉政権のみならず、「改革、改革」と政府に迫ってきた国民の正念場も問われているのだと思う。
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by bs2005 | 2005-08-11 00:46 | 異論・曲論  

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