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善魔

遠藤周作さんは悪魔という言葉に対して、善魔という言葉を創られています。大悪をやるには小心者には努力と勇気が要るが、善いこととなると、努力も勇気もなしに感情だけでやれる分、問題が多いというようなことも言われています。遠藤さんの言葉から、善魔のイメージを探って行きたいと思います。

感情に突きうごかされて行った愛なり善なりは(正確にいうと自分では愛であり善いことだと思っている行為が)、相手にどういう影響を与えているか考えないことが多い。

ひょっとするとこちらの善や愛が相手には非常な重荷になっている場合だって多いのである。向こうにとっては有難迷惑な時だって多いのである。それなのに、当人はそれに気づかず、自分の愛や善の感情におぼれ、眼くらんで自己満足をしているのだ。

原因は二つある。ひとつは相手の心情に細かい思いをいたさなかったこと、もうひとつは自己満足のあまりに行き過ぎてしまったことである。

いかに正しいこともそれを限界をこえて絶対化すると悪になる。また逆に悪に見えることも限界内では善い部分がある。民主主義は正しい考えかもしれぬ。しかし、それを絶対化しすぎると民主主義ならざる国に原子爆弾を落とすような悪をうむ。

自分がいつも正しい、正義漢だと思っている人というのも、知らず識らずに傲慢という罪を犯していると思います。なぜかというと、自分が正しいという気持ちは、かならず他人を裁こうとします。人を裁こうとする気持ちというのは、自分が裁く相手の心の悲しみとか寂しさとかいうことが、よく分かっていないことなのです。

一人よがりの正義漢や独善主義のもつこの暗さと不幸は今日、私たちの周りで、さまざまな形で見つけられる。

こうした善魔の特徴は二つある。ひとつは自分以外の世界をみとめないことである。自分以外の人間の悲しみや辛さが分からないことである。

もうひとつの特徴は他人を裁くことである。この心理の不潔さは自分にもまた弱さやあやまちがあることに一向に気づかぬ点であろう。自分以外の世界をみとめぬこと、自分の主義にあわぬ者を軽蔑し、裁くというのが現代の善魔たちなのだ。


出典:『生き上手 死に上手』の中の「無明のなかの光」より{文春文庫}

たくさん引用しましたが、身につまされることばかり。鞭打たれる思いです。 せめて善魔の自覚を持たなければと思うと同時に、アメリカという国は善魔だなぁと思わずにいられません。良いものをたくさんもっているだけに、そうなってしまっている。善魔なのだという自覚を持って欲しいものです。

私が思うのには、善魔の三つ目の特徴は頑固だということです。自分の信じていることが正しいと思うから、頑固になるのだと思いますが。 頑固者に、善魔である事を自覚させるのは至難の技ですね。自他共に認める頑固な人は、自分は善魔かもと疑ってみる事も大事でしょうね。


  
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by bs2005 | 2005-08-06 00:03 | 忙中閑の果実  

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