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「世界ってどうしてこう美しいのだろう」

この言葉は、どういう状況での言葉と思われますか。多分、素晴しい大自然の中で、思わずつぶやく言葉?そういう場合はよくあるかもしれませんね。そういう所でつぶやかれた言葉なら、多分、そのまま聞き流しているでしょう。

この言葉がつぶやかれた状況を知った時、私は胸を突かれました。この言葉はナチスのあの悪名高い、非人道きわまりない収容所の中で、過酷な重労働にぼろぼろになって満足な食べ物も与えられず、貧弱な衣類をまとって、力なく横たわっていた人がつぶやいた言葉なのです。粗末な薄暗い部屋の中で。

横たわっている時に、この世ならぬ美しい色をもった雲を見た時に、つぶやかれた言葉です。でも、その雲を見たからだけではないのです。そのすぐ後に、この作者は「強制収容所を経験した人はだれでもバラックの中を、こちらでは優しい言葉、あちらでは最後のパンの一片を(病人に)与えた人間の姿を知っているのである。」と。

一日たった一つの固くて小さいパンと水のようなスープしか与えられない状況。過酷な重労働を支えるにはとても足りないそのパン、命を支えるパンでありながら、命を支えるのにはほとんど足りていない命の象徴のそのパン、、自分が生きて行くのすら必死の、ぎりぎりの極限状況に追い込まれた人達の中で、それを人に与えられる奇蹟のような存在を目撃したからの言葉なのです。

ぎりぎりに追い込まれた時、人間はどうしようもない弱さ、愚かさ、醜さをさらけだしてしまう存在ですが、同時に、限りなく神に近い、圧倒的に輝く存在にもなり得ることを示せる人が、奇蹟のように存在する、、、安易に人間への絶望を語ってはいけませんね。人間が輝く存在になる自由を、誰も奪えないという事です。

この話はフランクル『夜と霧』の中にあるそうです。遠藤周作さんは、これを基に小説を書かれていますが、その中で、このパンの一片が、死にかけている人を救うことは多分もう無理だろう。でも、その死に向かっていく人は、最期に、自分に向けられた愛があることを知って死んで行くのだ、そのことの意味は計り知れないと書かれています。パンはそこでは命の象徴でもあると同時に愛の象徴、人間の尊厳の象徴でもある訳ですね。

そういう状況の中で、この言葉をつぶやける人にもまぶしい美しさを感じてしまいます。こういうのを読むと、ああ、もっと沢山、良い本を読まなければ、、と思います。

by bs2005 | 2005-07-29 00:20 | 忙中閑の果実  

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