日本の政治文化

慶応大法学部の小林良彰教授(政治学)によると、両院のねじれが起きた時の日本とドイツの大きい違いは「両院の意見が異なった場合、日本は十分な話し合いをせずに物別れに終わるが、ドイツでは作業部会が設置され妥協点を探る」ことだそうだ。

日本人の物の考え方にはどうも「オール・オア・ナッシング」の二者択一的傾向があるのではないか。現実的な接点を見つけて妥協しながら前に進んで行くというのが、非常に下手な国民なのかもしれない。お互いに自分の主張に拘泥し平行線から先に進めない。大震災という非常時に於いてさえ、そうなのだから呆れてしまう。民主政治の本質は妥協だ。いかに良質の妥協を導き出すかに掛かっている。「一切の妥協、許すまじ」などと息巻く輩は外国からは青臭い未熟者にしか見えない。

原発に関しても、過去、反対か推進かという二者択一の政争の具にされてしまったことが、安全対策に現実的に取り組むというアプローチを封殺してしまったと言われる。今も、脱原発か否かという二者択一の動議で電力会社の株主総会の議決が行われて、脱原発派にとっては不利な展開になってしまっている。どういうエネルギーをどう開発しながら、どういう時間の中でエネルギーの安全と安定的確保を目指すかという議論が抜けているように見える。今は双方が共にデータを突き合せつつ、一緒に冷静に検討していく委員会のようなものの提起が先ず必要なのではないだろうか。

首相も一年も満たない間に、こいつは駄目だと次々に首をすげかえられる。良いか悪いかの二者択一。アメリカの大統領の任期は4年だから、初めの一年は蜜月期間と言われる。どうせ新米の大統領、駄目なことは山ほどやるだろうけど、一年目の慣れない間は、試用期間のようなもの、寛大に辛抱強く見守ろうという雰囲気がある。その代わり、二年目に入ると急に厳しくなる。蜜月期間は終わったという言い方がされる。その一年の蜜月期間の間に、多くの失敗の中から、政治の現実を学んで成長して欲しいという思いもあるのだろう。

日本の場合は成田離婚みたいなものだ。いきなりケチョン、ケチョン。そして一年そこそこで引きずりおろされるから、初めの一年の失敗から学んだ教訓を生かす場は奪い去られる。次々に新米首相が出てきて未熟なまま、こきおろされ引き摺り下ろされ、また新米首相が出てきて同じことの繰り返し。首相が育つ暇がない。日本の政治が成熟する暇が無い。

サッチャー氏は11年、ブレア氏は10年首相を務めた。小林教授によると「一度選ばれれば政権から引きずり降ろそうとしない政治文化があることが、長期政権の一因だという。オール・オア・ナッシングの文化ではないのだろう。アメリカにも簡単に引き摺り下ろすことを自戒する文化がある。

一度選ばれた人間に対しては、積極的に選んだ人間は勿論、反対した人間もその選択を阻止できなかった以上、自分達が選んだものという意識があるから、簡単に引き摺り下ろすという発想はない。無いからどのように駄目であろうと皆で我慢して育てるしかない。手厳しい批判はするけれど、引き摺り下ろすためではなく良い方向に持って行く為だ。

日本では選挙が民主主義に対する自己の責任ではなく、単なる人気投票のようなものでしかないから、結果に責任を持つ意識が欠如しているのだろうか。自分の党の代表でさえ、人気が無いと思えば引き摺り下ろす。誰が党の代表にしたのかという責任感は全く見られない。次の選挙=人気投票に勝てる人気の取れる代表に一刻も早くすげ替えなければと思うのか。

こんな人気投票でしかないような選挙結果に一喜一憂、大騒ぎして、選挙の結果に責任を取れと迫り、その結果が首相の交代に繋がることも意に介さない与党の姿が、自民から民主に変わっても同じなのは、何たる時間とエネルギーの無駄を繰り返していることか。

アメリカ人は自分達が厳しく批判していても、外国の人間が彼らの大統領を目の前で批判すると嫌な顔をする。それを選んでしまったのは自分達であるという強い自覚があるから、よそ者に自分が面と向かって責められている感じがするのだろう。日本人はその自覚が見えない。日本の民主主義は無責任な未熟なものに外国からは見えるだろう。

八幡和郎氏は、「日本は戦前から独裁者を嫌う傾向があり、“持ち回り”の発想が根強く、長期政権にならないよう、リーダーシップがない人を選んでいる」と分析しているそうだ。

元々リーダーシップが無い人を選んでるのだから「リーダーシップがなってない!」とこきおろして、引きずりおろすのは簡単だ。日本の首相がくるくる変わるのは文化的・構造的必然であり、避けることは出来ないのかもしれない。

首相になるや否や、周りは引き摺り下ろすことに躍起となり、首相はそうされないことに躍起になる。それだけで政権は終わってしまう。それだけで終わらせまいとすれば、居座りを図る腹黒い奴というレッテルは避けられない。

こうやって首相をくるくる変えている間に、国際社会の失笑は嘲笑に完全に変わってしまい、どうせ短期政権で終わると分かっている日本の政府はどの国からもまともには相手にされず、国際社会の色々のことは日本の頭越しに決められて行くことだろう。

日本は外交の場に於ける交渉能力を完全に失い、誰が首相になっても諸外国の言いなりになるより他なく、そのことを国内ではぼろくそに批判され、その次の政権も引きずり下ろされ、悪循環はさらに加速して、政権はますます短命化し、政策は少しも進まず政争のみに明け暮れる一層の果てしない泥沼に落ちて行くことだろう。

日本の政治文化や構造的問題を、世界の政治文化の中でもう一度捉え直し、客観的に見直すことが必要だろう。そして腰を下ろした政権の下で、全ての異なる立場が辛抱強く話し合い、妥協を繰り返しながら、今出来ることを見つけて先に進んで行ける新しい政治的システムの導入が焦眉の課題のように思える。
[PR]

by bs2005 | 2011-07-01 12:18 | 異論・曲論  

<< これを報道しないメディアって何... 日本人のキツイ英語表現 >>