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震災後の日本に初めて行って

更新、一ヶ月空いてしまいました。その間、何をしていたかというと、日本に行ってました。

震災後初めて、地震が大の苦手な私は余震に怯えながら日本に向かいました。日本のイメージは悲惨そのもの、暗いものでした。周りのアメリカ人もそうでした。皆、そのイメージから、日本から戻った私にも、「みんな、大丈夫だった?どうだった?さぞ日本は暗く沈んでいたでしょう?」と心配そうに、気の毒そうに訊きます。

飛行機に乗って先ず驚いたのは、こんな時に日本行きの飛行機に乗る人はそう居ないだろうと思っていたら満席で、いつも必ず通路席を確保して行くのに、どうにもこうにも通路が取れなかった程だったことでした。みんな、そんなに気にしないで日本に出かけるのだな~と思ったのですが、成田に着いてまた驚きました。

成田で乗り換えて他の国に行く便に並ぶ列が今までに無い長蛇の列でした。日本を素通りして行く人々がこんなに多いのだ、飛行機に乗っていた人々の多くは、日本に来たのではなく、日本を素通りする人達だったのだと寂しく思いました。ここでも暗い気持ちになりました。そんな気持ちで、ただただ暗い日本をイメージしてやって来た私だったのです。

今回は娘の手伝いが主な目的だったので、あまり出かけませんでした。駅前の本屋で、原発関係の本がうず高く積まれ、飛ぶように売れていることを想像していたら、その関係の本を探すのに苦労して、やっと見つけましたが、それを見る人も居ず、その無関心ぶりに先ず驚いてしまいました。今度こそ、もっと原発への関心は深まっているだろうと思い込んでいたので。

そして、もう何年も会っていない友人と会う為に一度だけ新宿まで出かけました。こんなことがあって、人出もそんなに前ほど居ないだろうし、街もどことなく暗い不安げな雰囲気なのだろうとアメリカで思い込んでいたので、出てみてまた驚きました。以前以上の人の波。買い物を楽しむ人々、外食を楽しむ人々、思い切りお洒落をして歩いている人々。暗さも不安もみじんも感じられません。

放射線や汚染のことは心配していないのか?何とのんきに見える人々なんだろう?もう喉元過ぎてしまったのだろうか?日本人てよほど鈍いのだろうか?汚染がはっきりと眼で見えないと、こんなに何事も無かったようにしていられるのだろうか?日本人は一体どうなっているのだろう?

そんな風に感じて、アメリカで悲惨なイメージを抱いていた私は、ただただ驚いてしまいました。正直言って、その時は呆れてしまいました。親しい友人にはそういう無遠慮な感想を漏らしてしまいました。友人の一人には「本当に呑気なわけじゃないわよ」とたしなめられました。

でも、今、こうやって戻ってきて、友人のその言葉の正しさを感じています。私はあの震災の日、日本に居ず、その体験を共有していないから、深い部分が見えなかったのだろうと。原発の話を娘としていた時、「もういい」とその話を遮られたときにも、そう感じました。きっとあの経験をした人々にとって傷は深すぎて、表に表すこと自体が今は苦痛なのかもしれないと。

9・11をアメリカの地で体験しなかった人々には絶対に共有してもらえないものがあるのと同様に、3.11を日本の地で経験しなかった人間には、同じ日本人でさえ絶対に共有できないものがあるのだろう、そのことを謙虚に受け止めなければと思いました。うわべからだけでは本当のことは分からないと云う当たり前のことを忘れていたことに、気づかされた今回の帰国でした。

被災地以外での日本の様子があまりにも平常で変わらないので、日本に戻ってきた外国の人も多いとか。日本人がこうやって何事もなかったかのように暮らしていること、それは日本人の鈍さではなく、強さなのだと誇りに思い始めた私です。

by bs2005 | 2011-06-23 14:24  

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