津波は天災でも原発事故は天災ではない

元々、私は反原発の立場なので、原発の事故はそれが天災によって引き起こされたものであろうと、そもそも作ったこと自体が人災だと思っている。しかし、今回の場合はどの立場から言っても明白な人災に見える。

一つは、テレビで専門家が明言していたけれど、東電の対応があまりにもお粗末だということ。第一次の空炊き状態は海水を入れていたポンプの燃料だか電池だったかが切れた為だというが、それは元々4時間しか持たないものだから、まめに取り替えていなければならなかったのだとか。

この専門家は、東電はこういう事態に対してのマニュアルは作ってあったかもしれないが、その他の色々の点から見ても、訓練はまともにやっていなかったのではないかという。その通りだとしか思えない。でなければお粗末すぎる。

二つ目は、何と昨日やっと、IAEAの専門家に応援の依頼をしているという。初めから向こうは申し出ていたというのに。アメリカ政府も同じく申し出ていた。スリーマイルの経験を持つ国だ。その後の研究も進んでいただろう。そういう国の申し出を政府高官は「わが国は独力で対処できる」と断ったと聞く。

こういう時は、即応援を求めて可能な限りの知恵を集めるべきではないのか。経験のある国、IAEAのようにそういう知識を集めて持っているであろう組織の力を最初から求めるべきだったのではないのか。三人寄れば文殊の知恵という。手に入る知恵はあらゆる手を尽くして求めるべきだったのではないだろうか。あまりに傲慢すぎる。今更求めたって向こうだってもう手の打ちようがないのではないのか。

こういう基本的な手落ちが起きるというのは、こんなにも危険な原発を導入し、55個も日本中に作りながら、政治家も超党派でこういう事態を想定した訓練をしてこなかったからだろう。

「安全である」と言えば、それで安全になるとでも思っていたのだろうか。こんな危険なものを安全にする為の努力は徹底してされているべきだったのに、そういう努力が200%為されても足りない位なのに、100%にだってはるかに届かない感じがする。誰から見たって今回の事故は人災と認めざるを得ないのではないだろうか。

初めに緊急事態の連絡があって以来、私はメルトダウンが心配で心配でたまらず、家に居られる時間はずっと日本のニュースに釘付けになっている。幸か不幸かCNNもテレビジャパンも24時間やっているので、夜もおちおち眠れず、頻繁に起きてチェックしては、「だから言ったじゃないの~!原発なんか作るなって!」と、寝不足でよれよれになりながら吼えまくっている。

私がいくら言ったって今までだって全く無力で、今頃言ったって状況は同じなのだから仕方ないのだけど、口走らずにいられない。

廃棄物の処理もまだ答が出ていない、今回の地震のような天災にどこまで対処できるか不明である、ミサイルなどを使用したテロ攻撃にあったらひとたまりもない。原発が安全などというのは全くのまやかしでしかない。

どんなにエネルギーが不足しようと、「原発は絶対に使ってはならない禁じ手」という認識を持って、今まで原発の開発に賭けた人的金銭的資源を代替資源の開発に注いでいたら、また本格的節電に取り組み、生活のありかたそのものをとらえ直してきていたら、今日のような事態はそもそも起こらなかった筈である。

もっともっと不便な世の中だったかもしれない、遅々とした歩みだったかもしれない。でも、こういう世の中になっていきなり節電などという不便さに比べたら、もっともっと穏やかな不便さで済んだかもしれない。今回の事故からの回復は、その倍の経費と時間が掛かるかもしれない。「急がば回れ」は正しい。安易な原発ではなく、安全なエネルギーの開発とその開発の度合いに見合った生活様式を選ぶ、という「狭き門」を選ぶべきだったのだと思う。

エコ、温暖化の中での救世主のように原発を扱うのも大間違いだ。餃子さえまともに安全に作れないような国に、原発を多数売って会社が儲かれば済むものではない。こういうことが起こらない保証はどこにもない。

今回の事故は、あらゆるレベルでの傲慢が引き起こした人災である。既に天災で打ちのめされている人々は天災、人災、二重の被災者である。気の毒でたまらない。

参考記事
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by bs2005 | 2011-03-15 07:50 | 異論・曲論  

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