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エリザベス・キューブラー・ロス博士の自伝から

エリザベス・キューブラー・ロス博士は世界的ロング・セラー『死ぬ瞬間』の著者として有名なスイス生まれの精神科医です。

私はこの本を10年近く前に手に入れながら、ずっと積読の山の中に埋もれさせたままでした。実は、まだそうなのです。私が今日、ここで触れるのは、だから、この有名な本ではなく、もう一つの彼女の波乱万丈の生涯を語った自伝、『人生は廻る輪のように』(角川文庫)という本についてです。そして私はこの本すら、まだほんの五分の1位しか読んでいません。

それなのに、今回、記事にしようとするのは、この本との出会いが何だかとても運命的に思えるからです。この本はある日突然、全くの偶然が重なって、それまで本の名前も中身も全く知らず、本を読む暇も気力も無かった私のもとに、向こうから何の予告も無くやってきたのです。私がどんな人間か中身は全く知らない人から、実にさりげなく手渡される形で、、。





この偶然が無ければ、積読の山に埋もれた本も一生忘れ去られていたことでしょう。オーバーに聞こえるかもしれませんが、私は何だかこの本を、私も殆ど知らないその人の姿を借りて、神様が私に手渡してくれたような気さえしているのです。

読み始めてまだ少しですが、この本は裏表紙に「ページをめくるごとに希望と感動が溢れてくる一冊」と書いてある通りの本で、私は読み終わるまで記事にするのを待ち切れなかったのです。

彼女は三つ子の一人として生まれ、自分は何者かという問いに悩まされながら、憑かれたように医学を目指し、人を助ける道を選びます。それも半端ではありません。医学への道に反対する父親から勘当同然の扱いを受けながら、食うや食わずの自立の道を選び、数々の困難を驚異的な行動力と信念で乗り越えて行きます。

その行動力の凄さの一つの例を挙げれば、まだ医学校に入る前、ある教授のもとで生活の為に助手として働いている頃、ナチスとロシア軍の残した傷跡が深く、混乱・困窮の極みにあった戦争直後のポーランドの人々を助ける活動に参加する為に長期休暇をもらいます。

そして、ヒッチハイクと歩きで、何日もかけて、ろくに食事もできないような状態である駅に辿りつきます。そこでみたものは地獄の阿鼻叫喚のような状態の混雑した汽車です。

その汽車の屋根によじ登って、煙突にしがみつき、煤だらけになって、やっとのことでワルシャワにたどり着きます。まだ未婚の若い頃の話です。その駅にいつ彼女がたどり着くのか本人すら分からない状態だったのですから、迎えが来ていることも期待できない状態で、右も左も分からないワルシャワに放り出されるのです。その時の彼女の言葉です。

だが、運命は信仰とよく似ているものだ。どちらにも神の意思を熱烈に信じるこころがもとめられる。

彼女のその熱烈に信じるこころの強さ、不屈の精神は彼女の一生を貫いています。その一つ一つの話が感動的なのです。

まるで神様がその出迎えの人々を送ってくれたかのような幸運な偶然で、彼女は無事にトラックに乗せられ目的地に辿りつきます。その村は全く劣悪な環境で、村人達はありとあらゆる病気で苦しみ、緊急の治療と看護を必要としていました。その中の一人、白血病末期の娘に彼女はポーランド語を習います。

短い生涯を苦痛と悲惨のうちに送ってきたその娘は、なお自分の置かれた状況が最悪だとは考えていなかった。むしろ、その逆のようにも思えた。娘は愚痴ひとつこぼさず、他人を責めることもなく、淡々と運命を受容していた。娘にとっては、それがそのまま人生であり、少なくとも人生の一部であった。わたしはその娘から外国語以上のものを学んだ。

この村で、彼女は村人達の驚異的な回復力を眼のあたりにします。

グレープフルーツ大の腫瘍ができていた妊婦は、まだ医学生ですらないエリザベスが無我夢中でその腫瘍を摘出し、胎児の無事を告げると、起き上がり、歩いて家に帰るのです。それについて彼女はこう言います。

村びとたちの回復力は無限とも思えるものだった。かれらの勇気と生への意志は、私に強烈な印象をあたえた。回復率を高くしているものは生への強い決意だけだと思わざるをえないことが何度もあった。人間存在の本質、生きとし生けるものの本質はただ生きること、生存することにあるのだと気づいた。かつて「目標はいのちの意味の解明にある。」と書いた覚えがある者にとって、それは生きる上でもっとも深遠な教訓となった。

この箇所は一つ前の記事で書いた「生きることだけを考えた」という言葉ととてもシンクロしてしまいました。この本の箇所とたまたま前後して読んだのですが、同じメッセージを繰り返し天からもらったような感じがしました。

彼女はその後、どうしても見届けなければと訪れたマイダネックの強制収容所の跡地で、ゴルダという若い女性に会います。彼女は家族を全員ナチスに殺され、奇跡的に自分だけ死を免れたのでした。その女性はナチスの連行を避けるために、地面や雪に穴を掘って隠れ、筆舌に尽くしがたい冬の厳しさの中でただひたすら耐える生活を送ります。「あの人たちがやった非道をみんなに伝えるためには、どうしても生き延びなければならない」という決意だけが彼女を支えるのです。

ゴルダはエリザベスにこう言います。

「あなたも、いざとなれば残虐になれるわ」
(略)
「自分がどんなに残虐になれるものかわかったら、きっとあなたは驚くでしょうね。ナチス・ドイツで育ったら、あなたも平気でこんなことをする人になれるのよ。ヒトラーはわたしたち全員のなかにいるの」


平和な国家の良心的な家庭に生まれ、貧困も飢えも差別もなく育ってきて平和主義者を自認するエリザベスは、「私は違う!」と大声で否定したい気持ちを辛うじて抑え、ただ黙ってその言葉を聞きます。

それから間も無く、スイスに戻るときの危険で大変な旅の行程の中で、彼女は高熱を出し助けてくれる人もなく、空っぽの胃がきりきりと痛む絶望的な状況の中で、サンドイッチを食べながら自転車で走る少女の幻覚のようなものを見ます。その時、ほんの一瞬ながらも、その子からサンドイッチを奪いたいと考える自分の姿に愕然とし、ゴルダの言葉の意味を深く理解します。人は状況次第で変わるのだと。

そのゴルダは、解放された直後、怒りと悲しみのきわみで麻痺状態に陥る位の状態でしたが、やがて自分の人生を憎しみだけに費やす虚しさに気づき、こう語ります。

「せっかく救われたいのちを憎しみの種をまきちらすことだけに使ったとしたら、わたしもヒトラーと変わらなくなる。憎しみの輪をひろげようとする哀れな犠牲者のひとりになるだけ。平和への道を探すためには、過去は過去に返すしかないのよ」
(略)
「たったひとりでもいいから、憎しみと復讐に生きている人を愛と慈悲に生きる人に変えることができたら、わたしも生き残った甲斐があるというものよ」



まだたった五分の一位しか読んでいないのに、こんな話がどんどん出てくるのです。ここでは書ききれなかった部分にも既に沢山の驚異と感動があります。だから読み終わるまではとても待てない、、(笑)。多分、読み続ける内に続編をまた書くことになると思いますが、読み終わるのはいつになるか分かりませんので、「希望と感動」に飢えている方(^^)、ご自分で読まれること、是非お勧めします。

エリザベス・キューブラー・ロス博士の自伝からーその2
エリザベス・キューブラー・ロス博士の自伝からー完(予定)ー追記
エリザベス・キューブラー・ロス博士の自伝からーやっと本当に完

by bs2005 | 2009-11-01 12:59 | 忙中閑の果実  

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