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民主党の危うさ

まだ政権交代したばかり、慣れないことも多いだろうし、色々気になることはあるけれど、今までびくとも動かなかった色々のことが動き出しているのを見るのは心地良い面もあるし、まあ、長い眼で見て行こうと思っていた。アメリカに対しての屈辱的なまでの迎合ぶりが一変したのも、心地よく見ていた。

しかし、先日『生活ほっとモーニング』で色々の質問に答えていた長浜博行厚労副大臣の話を聞いて黙っていられなくなった。全部を見ている時間は無かったので、気になったのは一つだけなのだが、民主党の本質的危うさがそこに表われているような気がした。

それは「国庫に限りがあるし、国債を増やすわけにも行かない状況で、こども手当てに所得制限を設けないのは、ばらまきではないのか」という質問に対してである。

長浜氏は、これに対して「子供は社会で育てるものだ。個人が育てるだけのものではない。だからどの子供に対しても、親の所得に関係なく支給したい。子供は社会で育てるものだという民主党のメッセージを伝える為にも、こども手当ては、所得制限なく支給したい」と答えた。

こども手当てそのものには反対ではないけれど、個々の家庭に配るよりも、保育所その他の社会設備への投資をするべきだという議論は、定額給付金の時にも似たような議論があった筈だ。その時、民主党はそういう立場から定額給付金に反対していたと思う。あの立場から見ると、今度のこの説明は大いに疑問を感じてしまう。ましてや、この手当てが膨大な国家予算の一因ともなっているのだから。

子供は社会で育てるものという意見には全く異論はないけれど、それがお金を平等に出すということとどういう理論的関係があるのだろうか。社会で育てるということは、そういう物質的・金銭的ことではなく、社会全体で子供を見守って行くという精神・態度が先ず最も肝要だと思う。

一つの党がメッセージを国民に伝える為に、お金を支給するというのもおかしいと思う。メッセージはお金で伝えるべきものだろうか?

無駄な予算を削減して三兆円を生み出す過程にも大いに疑問がある。過疎地の医師不足を解消する予算も削除されそうだという。他にも、こども手当てを所得制限なしで給付することよりも無駄と言えるのかというような項目が削減対象になっている。

今の民主党を見ていると、マニフェストの実現=メッセージを伝えるということが、一人歩きして、非常に頭でっかちな動き方をしているように思う。民主党に一票を投じた人々が、マニフェストそのものを丸ごと支持していたようには世論調査で見てもとても思えない。マニフェスト先ずありきというような姿勢には危うさを禁じえない。

一つの党が方向性とビジョンを示そうとする意欲は買うけれど、それが優先課題になってしまっては本末転倒だと思う。長浜さんのような見解が民主党を動かすものだとすると、その行き着く先はどういうものになってしまうのだろうか。

国民の実感を大事にし、地に着いた政策をきめ細かく実現して行く中で、メッセージは自然に伝わっていくものだし、その中でマニフェストも柔軟に修正されて行くべきものだと思う。先ず現実ありきだ。

せっかく動き始めた時代の流れ、、民主党は慎重に謙虚に進んで欲しい。この危うさが次の選挙での民主党の惨敗、ひいては自民党の以前の体質のままの復活を呼び込んでしまうことだけはごめんだから。

by bs2005 | 2009-10-25 15:12 | 異論・曲論  

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