暗闇に慣れなければいけません。暗闇の中では最初は何も見えません。でも暗闇に目が慣れれば、道は必ず見えてくるのです。
ドラクロワ 12月16日放送で紹介されていた韓国・京仁女子大学のイ・エラン教授は北朝鮮出身。上記はその彼女の言葉です。
14年前のこと。その数年前に父親が体制批判の文を書いたことが官憲に知られ、自分にも危険が及ぶのは避けられない、脱北しか生まれたばかりの息子を守ることは出来ないと判断した彼女は、決死の脱北を覚悟します。熱烈な愛国者の夫には相談できず、夜中に生後4ヶ月の子を背負って、そっと家を出るというたった一人での決断でした。
真夜中に国境の川の流れに足を取られながら、一人息子を背負って進みますが、生後間もない赤ん坊、いつ泣き出してもおかしくありません。泣き出したら、国境警備の兵士に見つかって殺されるという恐怖の中で、赤ちゃんは不思議なことに首まで浸かる冷たい水の中でも、すやすやと熟睡して泣き出すことはありませんでした。
それが奇跡のように思えた彼女、「この子は、生きる運命だ」と確信して、それを支えに必死の思いで渡り切りました。それから、三ヵ月後にやっとたどり着いた韓国でしたが、待っていたのは夢に描いた生活とはかけ離れた差別に苦しむ生活でした。訛りですぐに北出身と分かってしまい、脱北者ということで仕事ももらえませんでした。脱北者に対しての様々な偏見がありました。
やっともらえたトイレ掃除の仕事を一日12時間強、睡眠は2時間だけで、その上新聞配達もという苛酷な生活をしても、ほんの少ししか収入は得られず痩せ細っていく息子。そんな中でも必死に頑張って見つかった保険のセールスから道を切り開き、そのコミュニケーション能力を見込まれ、大学教授への道を勧められ、働きながら大学に通い、ついには大学教授になりました。
現在は脱北者の支援活動を行い、昨年、米国国務省主催の「勇気ある国際女性賞」を受賞し、時の人になったという彼女の言葉は、とても力強いものだと思いました。
原発事故のおかげで遅々として進まない復興、政治のていたらく、経済の低迷、あれだけの事故にあいながら、一向に脱原発の足がかりすら出来ていない、、等々、一向に希望が見えてこない日本は、遠くから見ていると、暗闇の中に居るように見え、ただただ辛い思いになります。
被災地の人々もその行く末を思うとき、暗闇に突き落とされるような思いの方が少なくないのではと思うと心が痛みます。そんな中で出会った彼女の言葉です。
今、私達はこの暗闇を受け入れ、しっかりと見据え、目をこらし、その中から見えてくるものによってしか、真に救われることはないのかもしれません。
暗闇の向こうに祈りをこめつつ、、、。皆様、よいお年をお迎えください。